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【被災地の教育現場 vol.16】 青空バレーボール部Ⅰ

2015.11.05


2011年3月11日は金曜日で、翌日が卒業式。女川第一中学校男子バレー部は、その翌日の13日に、練習試合を組んでいた。

眼下を町が流されていき、生徒を誘導して高台の浄水場に向かいながら、頭のどこかでは練習試合に行けなくなることを、相手校に連絡しなくちゃと考えていた。その後、約2ヶ月間部活動はできなくなった。

新学期が始まっても、体育館は壊れて使えず、そのまま物資倉庫になった。
町の体育館は避難所。校庭も地割れがあり使用できない。小中が同じ校舎に入っていて、下校バスの時間は小学校に合わせるので、中学生は帰りの会が終わるとすぐバスに乗った。

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震災後は、空間、時間すべてにおいて窮屈な日々が続いていた。
部活動どころじゃないのは分かるのだが、部活動ぐらいやらせたかった。例年なら間近に迫った中総体に向けて、練習に熱が入る頃だもの。

短時間でいいから、部活動の時間を作ろうということになった。
手元の記録によると、部活動の再開は5月2日、時間は15分。体操、ランニング、そして数分間のパスとレシーブ。場所は昇降口前、下はアスファルト。それでも生き生きボールを追いかけた。

5月の連休に仙台のホームセンターに行って、物干しセットとロープとテント用のペグと栽培ネットを買ってきて、校庭の隅にバレーコートを作った。休み明けに生徒が驚く姿を思い浮かべながら…。

実際は「やったー!」とバンザイするほどのものではなく、嬉しいというより、「ここでバレーやるのかよ」という雰囲気もあり、微妙な空気だったのを覚えている。

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ネットに絡まりボールが落ちてこなかったり、ボールについた砂が口に入ったり、珍プレーが続出。サーブやスパイクがラインをオーバーすると、相手チームは「アウト!」と喜ぶのだが、その後すぐに、遠くへ転がるボールを追いかけなければならないのもコントみたいでおもしろかった。

天井サーブならぬ青空サーブの練習もさせた。果てしなく高く打ち上げるサーブだ。試合では使えないが。バレーボールはもともと屋外スポーツだったのだ。バドミントン部に比べれば、ぜいたくは言えない。

場所や用具が不十分な上に、転校したメンバーもいて、戦力ダウンは必至だったが、スポーツや文化活動の意義を改めて感じた。

みんなで一つのボールを追いかける。みんなで音を作る。今あるもので作る。今できることをやる。みんなで喜び、悔しがって、少しずつ強くなる。


≪つづく≫


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このブログ「被災地の教育現場」シリーズは、
元 女川中学校教員である佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、
コラボ・スクール女川向学館のメンバーとして、被災地の教育現場の現状を
つづる連載です。
学校現場の視点、保護者の視点、地域の視点でコラボスクールの価値と
可能性についてつぶやきます。

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