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【被災地の教育現場 vol.19】 すべては五七五の中にⅡ

2015.12.14


人は強い衝撃を受けると言葉を失うものだ。嬉しすぎても、悲しすぎてもそうだ。大会で優勝したときなども、すぐは実感がわかず、後からああ現実だったんだと喜びに浸ったりするものだ。

東日本大震災は、まさに言葉を失う衝撃だった。津波が襲う様子も、その後の日々も、うまく表す言葉が見つからない。見つけたくもなかったというのが正しいかもしれない。

震災2ヶ月後の俳句の授業は、あの時の風景や想いを、言葉にする作業だ。

 故郷を 奪わないでと 手を伸ばす

まさにそうだった。女川の町が巨大な黒波に飲まれていくのを、私も丘の上から見た。女川の中学生による五七五は,どんな文章や映像よりもあの日からの日々を伝えていると私は思う。
そして、目の前に広がる変わり果てた町の風景。

 見たことない 女川町を 受けとめる

メチャクチャになった「見たことない」女川町。その後にどんな言葉を続けるか。
「信じない」「受け入れる」「あきらめる」「悔しいな」「頑張るぞ」…。いろんな言葉の中からこの生徒は「受けとめる」にたどり着いた。
まず、受けとめる。目をつぶるのも、立ち向かうのも、それからだ。そうか、そうだよな、と授業中にこの句を見て気づかされた。

似たような形ばかりなのに、なかなかぴたっと合わないジグソーパズルのピースのように、自分の気持ちにぴったりの言葉も、実は一つしかない。
カウンセリングの理論を持ち出すわけではないが、「言葉にすると心の整理がつく」のだ。整理がつけば、次に進むことができる。
「受けとめる」は、この句を読んだ私にとってもたどり着いた言葉になった。

 窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町 

 真っ暗闇 どれだけ明かりを 灯せるか

窓からは、ガレキしか見えないのに、そこに未来の町が見えてくると言うのだ。町が流され、街灯もなく夜は真っ暗なのに、それは始まりだと言うのだ。
現実は、薄めたり、紛らしたりするだけでは前に進めない。ガレキの山、真っ暗な闇、つらく悲しい現実に向き合い、受けとめたときにはじめて本当の「希望」や「決意」を語ることができるのだということを、生徒たちが教えてくれた。

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 将来は 幼い子どもに 今を伝える

 町も私も 復興とともに 育ってく

こんな句も震災2ヶ月後に生まれていた。あの授業中、彼らの胸をどんな想いが巡ったんだろうと考えると、今も胸が詰まる。

≪つづく≫

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このブログ「被災地の教育現場」シリーズは、
元 女川中学校教員である佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、
コラボ・スクール女川向学館のメンバーとして、被災地の教育現場の現状を
つづる連載です。
学校現場の視点、保護者の視点、地域の視点でコラボスクールの価値と
可能性についてつぶやきます。

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