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大槌臨学舎開校5周年を迎えて

2016.12.13

2011年12月13日。大槌臨学舎の全てはこの日からはじまりました。

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ちょうど今のように、寒さが身にしみて感じられる冬の日。
コラボ・スクール大槌臨学舎は開校しました。10

そして今日、開校5周年の日を迎えました。

この日を迎えるまで、たくさんの苦悩がありました。
しかし同時に、たくさんの希望とも出会いました。
それは皆さんの陰日向の応援があったからこそです。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、そんな今日だからこそ伝えたいのです。
震災はまだ終わっていない、ということを。

* * *

開校当初のことは今でもはっきりと覚えています。
震災後、初めて迎えた夏は本当に暑い夏でした。当時、女川町でコラボ・スクールを開校していた縁もあって、
大変な被害を受けた大槌町に何か出来ることはないかというお話を頂き、私たちは初めて大槌を訪れました。

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2011年8月の町の様子。

女川向学館を開校してからわずか2ヶ月あまりのことです。

「大槌でも開校したい」という考える余裕などさすがになく、話を聞くことだけで精一杯でした。

気づいた頃にはすでに11月。

高校入試まで、残り4ヶ月を切っていました。
「もしかしたら勉強どころではないのかもしれない」
「本当に勉強したいと思う子どもたちはいるのだろうか」と不安な思いが募る中、
「1人でも2人でも勉強したい生徒がいるのなら」という気持ちが、開校へと突き動かしました。

10人でも来てくれれば・・・と考えながら開校準備を進めていた矢先のこと。
生徒からの申込はすでに40人に達していました。
学校に電話をすると、もう40人から申込書を預かっているといいます。
蓋を開けてみれば、なんと80人。当時の3年生の7割が通う、そんな場所になりました。

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2011年12月13日、今からちょうど5年前の今日の日は、
私たちが初めて大槌の子どもたちに出会った日であり、
大槌の子どもたちが抱える困難と向き合った日であり、
復興への大きな希望を抱いた日。そんなはじまりの日なのです。

* * *

それから、5年という月日が経ちました。あっという間の日々でした。

いまでこそ「あっという間」と言えますが、
大槌の子どもたちにとっては、決して「あっという間」などという時間ではなかったのかもしれない。

今でも、夜になると震災で亡くなった母を思い出し、「こんな感情をまだ持ち続けているのは自分だけかもしれない」と孤独に苛まれる高校生がいます。「自分だけあの日に取り残されてしまっているようだ」と彼は言います。

両親を亡くし、それでもそのことをそっと心の引き出しに閉まって、必死で毎日を生きている中学生がいます。

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2012年3月11日撮影

町民の1割が亡くなった大槌町には、親しい誰かを失わなかった人などいません。
大人さえも人目をはばからずに泣き、絶望した、あの離別の経験は、
それを受け止める力さえない子どもたちの心に、何を残したのでしょうか。

明日になったら帰ってくるんじゃないか、また笑って会えるんじゃないか、とどこか期待して、
また悲しみにくれるという日々を繰り返したはずです。
大人でさえ、どんな言葉で悲しみを表現すべきか分からない中、
まだ幼く多くの言葉を持たない子どもたちに、自分の心の中にある感情を吐き出すことがどうしてできたでしょうか。

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2011年3月15日撮影

時は無情です。
決して速く進むことをしてはくれません。
私たちを待ってくれるわけでも、私たちを追い越してくれるわけでもありません。
1秒、1秒、どんなに辛い時もどんなに悲しい時も時計はいつも同じ間隔で針を進めていきます。
どんなに早く忘れようとしても、いつもの日常を取り戻したいと願っても、時はいつも変わらないスピードで進みます。
だからこそ子どもたちは、みなそれぞれが受けた離別の経験と向き合い続けなければならなかったし、
もう二度と帰ってこない人と、思い出の中にある町を思いだし、やり場のない思いを抱く日もあったはずです。

振り返れば、子どもたちがどのような思いで震災からこれまでの時間を歩んでこようとも、私たちはそばにいることしかできませんでした。
笑顔で校舎に迎え、今日も頑張ったねと、いまの子どもたちを肯定することで精一杯だった。
そんな虚しい思いに駆られることもあります。

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* * *

大槌臨学舎は、大槌にとって何だったのでしょうか。
「大槌の子どもたちには、震災の経験や震災で失った町を遠ざけるのではなく、それらと向き合える子になってほしい。
コラボ・スクールをそんな場所にしたい。だから震災に臨む、学びに臨む、自分自身に臨む場所にする」
「臨」学舎という名前には、名付け親である大槌町の伊藤正治教育長の、そんな思いが込められていました。

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伊藤正治教育長。2011年12月11日、開校説明会にて

いまだ、町民の25%の人たちが仮設住宅で暮らしています。
町の中心部の土盛がやっと終わり、町の再建はこれからです。

私たちは、もう一度考え直さなくはなりません。「臨む」とはなにか、と。

同音異義語である「望む」の語源は「遠くを眺める、思いが叶うように願う」という意味です。
一方、「臨む」の語源には「見下ろす、面する、大切な場へ自ら行く」という意味が含まれています。

「臨む」という言葉には、ただただ思いが叶うように願うのではなく、
”自ら”その”大切な場所”を創り出す子になってほしいという願いが表れているのです。

木碑の掃除

2014年3月11日、木碑の清掃をする高校生。

大槌に住む全ての子どもたちは、離別の苦しみを知っています。

何気ない日常が、いとも簡単に失われることを知っています。
そしてまた、絶望という言葉がこの世にあることを知っています。
しかし、大槌の町民そして子どもたちも、絶望してもなお「臨む」ことを確かに選んできました。

だからこそ、いま伝えたいのです。
震災から5年以上が経った今も、震災は終わっていません。
どんなに風化が叫ばれようとも、震災の経験を背負う子どもたちがいます。
子どもたちは、時に悩むことも、足を止めてしまうこともあるでしょう。
そんな時、コラボ・スクール大槌臨学舎は、
震災を機に起きた苦悩に、これから起こる苦難に、一緒に臨んであげられるような場所でありたいのです。

* * *

初年度から関わった多くの生徒たちが、大学生になりました。
お世話になったコラボ・スクールの力になりたいと、ボランティアとして戻ってきた生徒。
休学してでも、コラボ・スクールがどうしてあんなにいい場所だったのか解明したいという生徒。
大槌の人々が働くことを生きがいにできるような町にしたいと願い、地元の高校から初めて慶応大学に進学した生徒。
いつかコラボ・スクールのような場所を運営してみたいと、教育学部に進学を希望する高校生もいます。

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私たちに出来たことは大きなことではなかったでしょう。
しかし、街灯のない大槌町で、子どもたちがコラボ・スクールに来て勉強すること、
その建物の明かりが灯り続けていることこそが、被災地大槌の希望です。

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2012年冬、プレハブの校舎で。

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2016年12月13日、今日も明かりが灯る。

そこで育った子どもたちが、ここ大槌に、これから迎える日本の夜道に、明かりを灯すと信じてやみません。

私が大槌に訪れてから、はや5年以上が経ちました。
みなさんの変わらぬ温かい応援には感謝しかありません。
その応援の一つひとつが私たちの背中を押し、そしてまた子どもたちを支え続けました。

もちろん、大槌の希望となるような話もたくさん生まれていますが、今回はこの話をお伝えしたかったのです。

未だ震災は終わっておらず、いまも震災と向き合う子どもたちがいることを。
その中で、たくさんの希望が生まれようとしていることを。

いえーい

多くの団体が大槌を去ろうとも、私たちは子どもたちと同じように、この震災に臨み続けます。
そしてまた、「臨」学舎という思いを持つ場が、至るところに広がっていくことを願っています。

「臨」もうとする生徒たちに、会いに来て下さい。
もちろん、スタッフ一同も皆さんとお会い出来ることを楽しみにしております。
そして未だ終わらぬ震災に、変わらぬ応援をぜひお願いします。

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平成28年12月13日

コラボ・スクール大槌臨学舎 校舎長
菅野 祐太

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