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被災地の教育現場の記事一覧

【被災地の教育現場 vol.13】 新学期は中島みゆきから

震災後、災害対策会議や校長会が連日開かれ、町の方針が話し合われていた。 目的地が決められれば、そこに向かう道を作らなければならない。 町が壊滅状態なのにも関わらず、新学期は例年通りの日程でスタートすることになり、春休みは...

【被災地の教育現場 vol.12】 カタリバがやって来たⅢ

23年度の学校は、すでに出来上がっていた年間行事計画の見直しを余儀なくされた。 できないことはもちろん、やる必要ないものはやらない。逆にやるべきことは多少無理してもやると校長は方針を示した。 たとえば、運動会や文化祭を実...

【被災地の教育現場 vol.11】 カタリバがやって来たⅡ

学校はよく言えば安定しているが、逆になかなか変化できない。 20年ほど前から「開かれた学校づくり」が話題になってきたが、長年にわたって構築されてきた学校のシステムに、外部から地域や企業、NPOなどが融合するのは容易くない...

【被災地の教育現場 vol.10】 カタリバがやって来たⅠ

先日、テレビを見ていたら、「復興は何パーセントくらい進んだと思いますか」という質問があって、地元の人が困惑しながら答えていた。 私たちは何かというとすぐに数字にしたがるものだが、こんな場合は何を基準に算出すべきなのか。か...

【被災地の教育現場 vol.9】 2つの校歌

23年度は出島(いずしま)の女川第二中学校の生徒たちが、第一中学校の校舎で学校生活を送っていた。4月から一緒だった女川第一小学校は、7月に、それまで第二小学校に入っていた役場が仮設庁舎に移ったので、そちらに移動した。 同...

【被災地の教育現場 vol.8】 お昼ごはんの思い出

震災後しばらくの間、給食はパンと牛乳だけだった。 時々それに支援物資のゼリーやお菓子が一品つくことがあったが、成長期の中学生には到底足りなかった(成長期の大人にも)。 ズボンがブカブカになった先生は「震災ダイエットです」...

【被災地の教育現場 vol.7】 おたがいさま

女川第一中学校(現在の女川中学校)は高台にあったので、津波の被害は免れたものの、地震で体育館と理科室、美術室、音楽室、格技室などいくつかの教室が使えなくなった。 そこに出島(いずしま)の女川第二中学校が入り、7月までは女...

【被災地の教育現場 vol.6】 復興絵はがき

女川町には『復興絵はがき』というものがある。 二枚一組で、はがきになった絵は、女川一中(現女川中)生が描いたものだ。 一枚は震災前の美しい海の絵。 平成22年度の海の絵コンクールで入賞し、生徒会文集の表紙にも使われた作品...

【被災地の教育現場 vol.5】 春休みのピアノ

先日、ポール・マッカートニーが来日し、ビートルズファンを大喜びさせた。72歳だという。 彼には借りがある。震災直後の春休みのことだ。 3.11は卒業式の前の日で、当然、式は延期になった。 一週間後の19日に挙行した卒業証...

【被災地の教育現場 vol.4】 居場所Ⅱ

4年前、ガレキだらけの女川町にあって、高台(通称まるこ山)に建つ学校は別世界だった。 女川町は、4月下旬に始業式を行った他の地区と違い、例年と同じ時期に新学期が始まった。 生活もままならないうちに、無理に始める必要はある...