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【被災地の教育現場 vol.4】 居場所Ⅱ

2015.5.27

4年前、ガレキだらけの女川町にあって、高台(通称まるこ山)に建つ学校は別世界だった。

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女川町は、4月下旬に始業式を行った他の地区と違い、例年と同じ時期に新学期が始まった。
生活もままならないうちに、無理に始める必要はあるのかという声もあったが、子ども達にとっては本当に良かったと今は思っている。
支えてくださった保護者、地域の方々の尽力には頭が下がる。

子ども達にとって、と言ったが、大人にとってもそうだ。
丘の上から響く子ども達の元気な声は、重機の音とともに復興のBGMにもなっていった。

段ボールで仕切られた避難所から、バスに揺られ、生徒は毎日学校にやってきた。
そして、数時間後、またバスに乗り、まるこ山を下ってガレキの町に向かっていくのだ。
彼らは、変わり果てた故郷をバスの窓からどんな思いで眺めていたんだろう。
胸が苦しかった。

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そんなある日の放課後、バスに乗り込む生徒に「さよなら」と声をかけながら、
心の中で「行ってらっしゃい」とつぶやいている自分に気がついた。
朝は「おはよう」と一緒に「おかえりなさい」の気持ちになった。

ちなみに「ただいま」の語源は、帰宅時にたらいで足を洗いながら、
家の人とその日の出来事を会話する時間「たらい間」だという説がある。
「ただいま」の気持ちになる場所はどこにでもあるわけではない。

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強制的にいさせるのは本来、居場所とは違う所だと思う。
居場所に求めるものは人によって、状況によって違うし、複雑化した世の中で、人々の居場所も多様化している。

ここで言う居場所を、あえて定義づければ「安心、安全が保証されている場所」とでも言えばいいだろうか。
私たちは24時間居場所を求め続けている。

≪つづく≫


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このブログ「被災地の教育現場」シリーズは、
元 女川中学校教員である佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、
コラボ・スクール女川向学館のメンバーとして、被災地の教育現場の現状を
つづる連載です。
学校現場の視点、保護者の視点、地域の視点でコラボスクールの価値と
可能性についてつぶやきます。

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