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3・11の記憶を語り継ぐ~女川の佐藤敏郎先生の思い

2017.9.26

語り部の活動を行っている佐藤敏郎先生

被災地の放課後学校コラボ・スクール女川向学館に通う中学1年生が、夏休みの期間中に石巻市の大川小学校を訪れました。震災当時は小学校入学直前の年長さんだった子どもたち。それから6年半の時が流れ、彼らは中学生になりました。

東日本大震災による津波で多くの子どもが亡くなった大川小学校は、女川町の隣町にあります。この日は元・女川第一中学校教諭の佐藤敏郎先生に大川小学校を案内していただきました。佐藤敏郎先生は、大川小学校で当時小学6年生だった娘さんを亡くしています。

「この町に生まれたということは、あの震災とずっと向き合い続けていくということだと思う。」
これは今回大川小学校を案内してくれた佐藤敏郎先生の言葉です。

震災について考えるということは、この町に住む子どもたちにとっては、自分について考えるということに近い部分があるのかもしれません。

今回は中学生となった子どもたちが大川小学校を訪れることで東日本大震災について、そして自分自身について考えました。
大川小学校を案内してくれた、佐藤敏郎先生のインタビューをお送りします。

■女川の中学1年生に大川小学校を案内するということについて敏郎先生にとっても特別な思いがあると思います

うちの娘は当時小学6年生でした。卒業間近のあの頃、家では毎日中学校の話題。中学生になるのが楽しみでした。ちょうど3月11日は中学校の制服が出来上がる日で、学校から帰ったら、おじいさん、おばあさんと制服をとりに行く予定だった。
中学生を大川小学校に案内するといつもそのことを思い出します。
それに、自分が中学校の教員だったこともあり、中学生に対する思い入れはありますね。

■女川の子どもたちが大川小学校に訪れるということについてどう考えますか?

女川の子どもたちは津波のことをある意味わかっている。
津波の威力、家を壊してしまうということ、命を奪うということ…。
ただ、壮絶な風景が身近過ぎて、どれだけのことが起きたのか、彼らは直視してこなかったように思います。当時、幼い彼らにとって日常の風景は、活気のある港町ではなく瓦礫だらけの町でした。「震災」は特殊なものではなかったはずです。「知ってるよ」という感じ。
そんな彼らが、女川以外の被災地を訪れて、その地のビフォー&アフターを知ることは、震災に向き合う貴重な機会だと思います。
女川の町は復興工事が進んでいて、着々と駅や商店街ができているけど、ここは、誰も住まない場所に、校舎が壊れたまま建っている。それを見てどんなことを思うのか、私も興味深かったです。

■敏郎先生が女川の子どもたちだからこそ伝えたかったこと

ここまで津波が来た。これが津波の爪痕だという説明は、女川の子どもたちにはさほどいらないと思った。むしろ、この場所で、泣いて、笑って、楽しく学び遊んでいた子どもたちがいたということを、まず知ってほしかった。
あの日までの大川小学校をです。
私は、現地で説明しながら、野球をしたり、一輪車に乗ったりしている子どもたちを思い出します。家族で見に来た運動会や学芸会の様子が目に浮かびます。女川の子たちは、壊れた校舎、石ころだらけの校庭を見て、かつての様子を想像できたかなぁ…。

その上で、津波が来て悲しい場所になったということも伝えたかった。失われた日々がどんなにかけがえのないものであったのか考えてほしい。
6年半前の女川の町を彼らは覚えているだろうか。失われた風景は二度と戻らないんですよね。

(震災前の女川町の様子)

(震災後の女川町の様子)

■実際に一緒に行ってみて、今女川の子どもたちに想うこと

見たくないもの、会いたくない人、面倒な仕事、宿題、テスト…向き合いづらいものは誰にでもあります。
自分の町も大きな被害を受けている彼らは、大川小の被災を直視するかどうか不安でした。しっかり顔をあげて、話を聞いている印象を受けましたが、あの子たちはあの子たちらしく受け止めてくれたらいい。
あの校舎が、あの場所が、私を通じて彼らに何かを伝えてくれているはずです。
大川小で感じたこと、考えたことを、今度は自分の言葉で、周りにいる1人にでも2人にでも話してもらえたら嬉しいですね。

大川小は、「学校」についていろんな角度から見つめ直す場所でもあります。大川小のことを考えながら、女川の学校の校舎や学校生活を思い浮かべてほしい。
毎日の出来事や、周りにいる人を、今よりほんの少し大切に思ってくれたらいいなぁ。

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震災当時、幼稚園の年長だった子どもたちも、中学1年生。部活動に、勉強に全力投球し、いつの間にか制服姿も様になってきました。
中学時代は、いろんなものを見て、いろんな話を聞いて、考えて、どんどん視野を広げ成長する時期。この夏の大川小訪問は貴重な機会となったことでしょう。

あの震災のことをいつの日か自分の言葉で話せる日が来るまで、
子どもたちの日常を支えていきたいと思います。