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子どもたちの夢を守るために~熊本地震、次の一年へ

2017.4.14

一年前の4月14日と16日、熊本・大分地方を震度7の揺れが2度も襲い掛かりました。熊本県内の住宅被害は全半壊で4万棟以上。多くの方が避難所や車中生活を送られ、現在は狭い仮設住宅の暮らしとなりました。地震直後50人未満だった死者数は現在200人以上にのぼります。一夜にして日常生活を窮屈な暮らしへと一変させてしまう災害は、大人はもちろんのこと子どもたちへの影響も計り知れません。震災直後から緊急支援に入っていたカタリバは、6月にコラボ・スクール「ましき夢創塾」を立ち上げ、特に被害が大きい益城町で子どもたちの支援を続けています。

■先が見えない仮設暮らしの中で

益城町の被害状況は住居全壊が県内の約30%を占めます。熊本・大分の全域と比較して圧倒的なワーストです。町民約3万人のうち約7,000人が仮設住宅またはみなし仮設住まいをしています。町内には仮設住宅団地が18箇所2156戸建てられました。屋根にブルーシートがかかったままの家、倒壊し解体を待つ建物、その間にポツポツとでき始めた更地。住み慣れた町の景色はもう記憶の中にしかありません。

そのような環境の中、子どもたちは様々な課題を抱えています。
仮設住宅が学校のある市街地から離れたところに点在していることで、これまで仲が良かった友だちと離れ離れになった子どもたちがいます。登下校は大人と一緒にバスを使うことになり、友だちと語り合う大切な時間が失われています。仮設住宅の中も狭く、思春期の子どもたちが落ち着ける場所とは言いにくい状況です。親の失業や転職で、子どもたちだけで夜遅くまで過ごす寂しさ。いつまで続くか分からない先が見えない仮設住宅の暮らし。仮設住宅は2年間といわれますが、東北の場合は6年経った今でも仮設が残っています。また阪神淡路大震災の記録や東北のコラボスクールの経験からも、子どもたちの抱えているストレスが表面化するのは、むしろ2年、3年と時間が経ってから。まだまだ安心はできません。

■学校・教育委員会とのコラボ

カタリバは教育委員会や学校と話し合いを重ねながら、子どもたちの学びの場と居場所づくりを行ってきました。

■「ましき夢創塾」〜放課後の学びと居場所
益城町にある2つの中学校で、放課後の時間に学習サポートを行っています。自習を基本に、常駐するスタッフや地元の大学生を中心としたボランティアが、わからないところを個別に指導しています。参加者数はのべ約2,000人以上になりました。
また11月からは「テクノ仮設団地」の集会所をお借りして、夜間の学習会も始めています。この仮設団地は町内最大の516戸を有していますが、中学校がある町の中心部からは車で30分、熊本市街地からは1時間以上かかります。交通機関が限られているので、市街地の塾に通うためには親の送り迎えが必須です。しかし震災で仕事が変わった家庭も少なくなく、「夜、10時までは家にひとり」と話す子どももいます。学習会はそんな子どもたちの安心できる居場所にもなっています。

■学校行事サポート
日頃から多忙なことで知られる先生方ですが、被災地の学校では、学校施設の復旧作業や子どもたちの暮らしの変化に合わせた対応や、たくさん届く支援の調整などでより多忙を極めます。けれど先生たちもまた被災者の一人。これまで子どもたちを見守ってきた先生たちをサポートすることも、カタリバは大切にしています。
例えば、授業開始の遅れから練習時間が十分に確保できずにいた体育祭や合唱コンクール。体育大や音楽大の学生とコンタクトをとり、専門性のある人に練習のサポートに入ってもらうことで乗り切りました。
キャリア教育の一環として行われている「職場体験」も、多くの職場が被害を受けたことで実施が危ぶまれていました。そこで、カタリバスタッフが熊本市内などへ職場を新規開拓しました。

「“震災があったから、自分たちの学年は職場体験がなかったんだ“、子どもたちにそんな思いを持ってほしくなかったので、本当に嬉しかったですね」と永瀨善久・木山中校長(当時)。

「混乱の中で先生も生徒たちもやらないといけないことが山積みだった。支援のコーディネートが大変になっていたので、『もういい。何もないのが支援だ』と思っていた。けれどカタリバは学校と一緒に作っていくというスタンスでいてくれた。今まで全く外部との連携がなかったので気付かなかったが、こんな支援があるのかということに驚いた」と益城町教育委員会・坂本文隆さん。

■「辛さを見せないようにしている」

学校や地域と協力して、子どもたちを支援してきたカタリバ。この一年、子どもたちの様子の変化はどうだったのでしょうか?

「避難所生活が続いていた夏ごろは、集中が続かずに突然歌い出す子もいました。一人歌い始めると、周りも一緒に歌い出すんです。“一体感”を感じることで、安心していたのだろうと思います」とカタリバ職員・井下友梨花は言います。プライバシーがほとんど保てない避難所生活の中で、学校の放課後の学習会は子どもたちが少しだけ気を緩められる場所だったのかもしれません。

しかし、今もまだ子どもたちが安心できる場所は多くはないようです。職員・芳岡孝将は、「子どもたちは辛さを見せないようにしている」と話します。
「仮設団地の学習会で、子どもたちはよく『疲れたー』『明日、学校行きたくない』と呟きます。被災地に限らずよく耳にする言葉かもしれません。でも続いて出てくる言葉は『家にいても親はいないし』『いつ家が建てられるかなんて分からない』といったもの。表情を見ていれば、不安が伝わってきます。子どもたちは親の大変さも分かっているので、家で自分たちの悩みや不安を口に出すことができないのでしょう。僕たちがいるこの場で吐き出すことでバランスを保っているように思えます。」

木山中に通う3年の女子生徒は「家は全壊して、車の中やテントで生活していた。勉強するところがなかったから」と熱心に学習会に参加しています。彼女も現在は仮設住宅暮らし。「大学に行きたい。だから勉強をこつこつ頑張って高校に入りたい」と今年度1年間の抱負を教えてくれました。

■熊本出身の熊本コラボ・スクール事業責任者・今村亮より皆様へ

「故郷の熊本が被災地と呼ばれるようになるとは一年前まではちっとも想像していませんでした。けれど、ぐにゃぐにゃになった道を走り、全壊した祖母の家をみつけたときは茫然とその場に立ち尽くしました。これからどうしようか悩んでいたとき、背中を押してくれたのは東北の恩人たちでした。そして多くの方のご寄付をいただき活動をスタートさせることができました。あれから一年、益城の中学校ではたくさんのことがありました。今なんとか全員の高校入学を見送ることができ、震災後2年目が始まろうとしています。復興までは何年もかかることでしょう。でも今はまず新中学3年生が高校入試を乗り切り、次の桜の季節を迎えるまで伴走を続けます。これからも応援よろしくお願いいたします。」